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養護教諭は、学校の保健室に常駐し、児童や生徒の怪我などの応急処置、生徒の健康管理、保健指導を行う役割を担っており、原則として学校に配置することが必須と定められています。このように、現代においては養護教諭の存在が重要視されていますが、初めから学校保健に関する制度が整っていたわけではなく、時代の変化とともに改善され続けてきました。養護教諭を目指す学生は、養護教諭としての役割や保健教育に関する理解を深めるためにも、学校保健や養護教諭の歴史を把握しておきましょう。
そこで今回は、養護教諭を目指す学生が把握しておくべき学校保健の起源と変遷についてお伝えします。
学校における健康管理や環境設備、保健指導の起源
明治5年、痘瘡やコレラ等の伝染病が大流行し、学校での感染を防ぐ目的で罹患者の出席停止を学制で規定したことが、学校保健の起源とされています。明治11年には、現在の健康診断の始まりとされる「活力検査」が初めて実施され、児童や生徒の発育と健康の保持を目的とし、体格や体力の測定を行って健康管理を行うようになりました。また、明治23年の小学校令では、学校の設備準則の規定が掲げられ、学校の立地に関して安全や衛生面に配慮することや、適切な教室の大きさなどが定められました。さらに、昭和22年には、米国教育視察団から日本の保健教育面における課題点が指摘されたことを受け、児童や生徒に対して生理学や衛生学などを教える保健指導が本格的な取り組みとして始められるようになりました。
このように、児童や生徒の健康観察などを行う保健管理面、学校の設備環境面、保健教育面での整備が開始され、現代に至るまで改善が進められてきました。
学校医制度の制定と設置率の変遷
明治31年には、全国の公立小学校に1名ずつ学校医を置き、毎月少なくとも1回出校して環境衛生の監視や児童、生徒の身体検査などの業務を行うよう「学校医制度」が定められました。しかし、学校医制度には、治療に関することが学校医の役割として定められておらず、制度が定められた翌年の学校医設置率は、わずか20%程度でした。
その後、大正9年に新たに定められた規定により、学校医は、従来の環境衛生や身体検査などの他、疾病欠陥児への就学における助言や指導を行うことや、健康状態が良好でない児童や生徒に対して特別な注意や措置を行うなど、業務の幅が広がりました。そして、学校医制度の制定から10年後には学校医設置率が50%、20年後には80%にまで達し、現在においても児童や生徒の健康を維持するために重要な役割を担っています。
養護教諭の起源である学校看護婦の歴史
明治33年には、学校医の補助の必要性が増したことにより、監督看護の実務にあたる専任の職員として「学校看護婦」が学校に配置されるようになりました。学校看護婦は、疾病予防や応急処置、診療設備の制度、観察を要する児童や生徒の保護、身体検査や学校食事の補助、身体や衣服の衛生訓練などの業務を行い、大正15年には約900名、昭和4年には1400名以上が全国に配置されました。
昭和16年には、治療補助の業務よりも保健教育の指導が重視されるようになり、学校看護婦は「養護訓導」に名称を変え、教員として学校への必置が原則的に定められました。その後、養護訓導は「養護教諭」へと名前を変え、今日では、学校の保健室の先生として多くの重要な役割を持つまでに至りました。
今回のまとめ
明治5年、痘瘡やコレラ等の伝染病が大流行し、学校での感染源を防ぐ目的で罹患者の出席停止を学制で規定したことが学校保健の起源とされています。そして、生徒の健康観察などを行う保健管理面、学校の設備環境面、生徒に対して健康に関する学習指導を行う保健教育面での整備が開始され、現代に至るまで改善が進められてきました。
明治31年には、環境衛生の監視や生徒の身体検査などの業務を行う学校医制度が定められ、学校医の補助の必要性が増したことから、監督看護の実務にあたる専任の職員として「学校看護婦」が学校に配置されるようになりました。学校看護婦は養護訓導、養護教諭へと名前を変え、今日では学校の保健室の先生として多くの重要な役割を持つまでに至りました。